スズメ🐦という名前で、
アラフォー夫婦の子育てのことや、家庭のお金のことなどを父親/夫目線で書いている。
同じような境遇(アラフォー夫婦、妻と子供がいる)の方に、この家族日記が少しでも役に立てば幸いだ。
今日の結論は
「点と点が繋がり線になる」だ。

今回は育児の話ではなく、転職についての話を書いておきたい。
このブログでは、私を含めた家族の身バレをするような内容は基本的に書かないようにしている。
しかし私もアラフォーとして数年を過ごしてきて、少しは自分の転職に関する経験を書き記しておいても恨まれることは無いだろうと考えたので、自分自身の職歴などを少しだけ晒したいと思う。
私は今後、また転職する可能性はゼロではない。そういう人種である。
転職は、是か非か
メリットとデメリット

私の結論はもちろん「是」だ。
最近は世の中的にも、一つの会社で定年まで過ごすよりも、転職をする(いわゆるキャリアプラン)という考え方が定着してきたように感じる。
給料が上がるかもしれないし、より必要とされるかもしれない。運命的な人との出会いがあるかもしれない。一つの職業しか知らない時よりも、更に知見が広まるだろう。
とは言え、だ。
環境を変えるということ、ましてや1日に8時間からそれ以上を過ごす”職場”という環境を、そう誰もが簡単には変えられない。
その上、転職する事で以前より状況が悪化することもある。
主には人間関係、給料などの待遇、仕事内容のギャップなど、想像と異なると取り返しがつかない。
あとはリスクへの自身の考え方次第になるのだが、
私はそれでも転職は「是」だと考えている。
転職を勧める理由
理由を改めて考えてみたが、以下の2点になる。
1.終身雇用の終了
大企業でさえも、終身雇用の維持が難しいと発表している。
ということは、日本の大半である中小企業では余計に難しい。
50代ごろに給与が最大化し、退職金で家のローンを完済して、更に余剰のお金と企業年金で余生を過ごす、というモデルは今後絶対に実現不可能だ。

ということは、一つの会社に勤めていても、給料は上がらず、退職金は雀の涙、退職後の面倒まで見れるわけがない。
自分の力で経済的余裕を作り出す手段として、消去法的にも「今の職場にしがみつかない」という方法は必須なのだ。
2.スキルの掛け合わせ
例えば、地元の信用金庫に就職したとしよう。
そこでおよそ30年勤め上げると、
「金融関係の知識が豊富にある50代」が出来上がる。
では信用金庫に15年勤めてたのちに、不動産の営業に転職し、更に15年勤めたとしよう。
すると「金融関係の知識が十分にある、50代の不動産営業マン」が出来上がる。
更に転職を重ねた場合を考えてみよう。
信用金庫に10年、不動産営業10年、Webマーケティング業界に10年、としてみよう(この転職が現実的かはさておき…)
ここで出来上がる50代は
「金融系と不動産系に強みのあるウェブマーケター」となる。

この3者を比較してみる。
最も市場から重宝されるのは、3つの職種を経験した50代である。
言い換えると、受け皿が広いのだ。
Webマーケティングができる銀行員としても、
不動産のジャンルに強いWebマーケターとしても、
またそれらの逆でも、経験を掛け合わせることで、様々な職種からのニーズが見込めるのだ。
一流の⬜︎⬜︎より、
〇〇の出来る⬜︎⬜︎や、
〇〇と△△が出来る⬜︎⬜︎、
の方が、活躍出来るフィールドが広いのだ。なんとなくイメージできるのでして頂けたであろうか。
これが私が転職を「是」とする理由である。
次からは、私の過去についてつらつらと書いている。
ただの日記なので、興味のない人は飛ばして、最後の「まとめ」だけでも読んでくれると良いだろう。
まとめには、私が転職の経験などから学んだことを整理しておくので、ここただけでもこのブログの結論としては十分だと思う。


卒業後のこと
私は大卒ではなく高専卒なのだが、卒業後は同級生とは異なる進路を選択した。
フリーター時代
同級生たちは、就職したり大学に編入学したり、中には高専の専攻科に進んだり、色々な進路を取っていた。
私は学生時代、特に素行が悪い訳でもなく、成績も普通で、大人しい性格だったので、
「就職も進学もしません。しばらくフリーターになります」
と言った時、担任は驚いたであろう。
それでもすぐに納得してくれたので良かった。
両親も同様に、比較的すぐに許容してくれた。
かくして私はフリーターとして実家を離れて一人暮らしをした。地元の友人と同じアパートに住んでいたので、安心感はあった。
フリーター時代は約3年続いた。
格好良く言えば、夢を追っていたのだが、現実もすぐそこに迫っていたので、3年間しかフリーターとして生活できなかった。

今回は仕事の話なので、アルバイトの経験を書いておく。
とその前に、地元でのアルバイト経験だが、高校のときにファミレスのホールを3年くらいやった。ここで接客に慣れた。
さて、フリーター時代最初にしたアルバイトは、定番の飲食店。居酒屋で働いた。

皿洗いや盛りつけなど、裏方の仕事をやった。包丁も使って簡単な調理もした(野菜をカットする程度だが)
それなりに楽しかったし、この時に出会った友人とは今でも交友がある。
しかし夜の労働だけではなかなか一人暮らしは厳しくなってきた。親の援助も打ち切られる時期だった。
「掛け持ち」という選択をし、次はアパレル業界に足を踏み入れた。

昼間はアパレルで、夜は居酒屋。1年くらいだったが、かなりハードだった。
アパレル業界はかなり大きな会社で安定しており、また自分的にも接客とファッションという職務内容が苦にならず、その後は契約社員〜正社員とこの会社に9年間ほどお世話になるのであった。


最初の転職
アパレル業界で本腰を入れて働くことを決めたときには、もちろん居酒屋も退職したし、夢もとうに諦めていた。生きていくだけで大変だったが、充実した毎日だった。
そんなアパレル業界からも去る日がやってくる。
きっかけはこの2つ。
1つ目は「土日休みが欲しい」
2つ目は「上司と合わない」
まず「土日休みが欲しい」についてであるが、アパレル業界なので基本は土日祝日が勤務で、平日にお休みがある。
9年も働いていると30代に差し掛かり、交際していた現在の妻との将来のことも頭をよぎってくる。
(このままだと妻とゆっくり過ごすことが出来ない…)
(子供が出来たら、運動会や参観日、行けないのか…)
(地元の友だちとも休みが合わないから、帰省しても誰もいない…)

こんな人生は嫌だな、と思ったのが最初の転職のきっかけの1つ目である。
次に「上司と合わない」についてだが、これはもう相性なのでどうしようもない。ちなみに仕事のできる年下の上司だったので、それなりの難しさはあったのだろうが、あまり覚えていない。人間関係が嫌になると、転職は一気に加速するのだった。
かくして私は転職活動を行い、アパレル業界を去った。
そして次に選択したのは、不動産関係だった。
しっかり転職エージェント(JACリクルートメント)を活用して、大変な初体験の転職を達成したのであった。
この業界のことについては次に綴る。


二回目の転職
この不動産業界も、3年で退職することになる。
「土日休みが欲しい」という私の希望は叶えられた。
公休日数も確か125日くらいあって、休みは相当多かった。
妻とも色々な所に旅行も言ったし、結婚も決まった。
が、
仕事が全くおもしろくなかったのだ…(そして微妙なブラックさ…)

アパレル業界からの転職を思い立った当初は
(土日に休めるなら、どんな仕事だって我慢して割り切って出来る!)
と思っていて、職種も特に絞らずに転職活動をしていた。
実際は割り切ることはできなかった。これはかなり重大な発見だった。
月曜が苦痛。
そんな3年間を過ごした。
一方で土日休みだったので、趣味のスポーツに費やす時間が増えた。

すると次第に仕事の退屈さと相まって、このスポーツに関わる仕事をしてみたい、という気持ちになっていった。
学生時代から続けていた競技で、再開したところ改めてハマってしまっていたのだ。
30代に突入し、結婚もしていたが、残りの人生、今の退屈な仕事に就き続ける時間は勿体ない。
そう考えてから、行動するのは早くて容易だった。
ネットで検索すると、そこに運命的な求人を発見した。
この某競技の店舗スタッフ募集だった。しかも店長職ができる人。
私はこれに応募し、無事通過、紆余曲折がありながらも現在に至る。


現在
スポーツショップの店長職から始まり、今の会社では色々な経験をした。
現在も店長っぽいことをやっているが、まだまだ会社に貢献できていないので、これからも出来れば世話になりたいと考えている。
人間関係的にも、この競技を好きな人が多く集まるということで、すでに「共通言語」がある状態だ。かなり働きやすい。
割と最新のビジネスツールにも触れていると思うし、ビジネスそのものの創り方のような事にも携わる機会が多い、ような気がする。
お休みはまた平日に戻って、土日祝は基本的に働いている。が、今回はあまり苦ではない。
要因はおそらく人間関係と、妻と私が歳をとって休みに2人で行動することが減ったからかと思う。

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今後
今の会社が働きやすいとはいえ、今後がどうなるかは分からない。
アラフォーという年齢を考えると、この先の転職はあと1回。多くても2回くらいか。
繰り返しになるが、今の会社にまだ何も貢献できていない。
貢献できるまで頑張るか、諦めてこれまでの経験を活かした職種に転職するか。とは言え、特にやりたい事も思いつかないので、お払い箱になるまではご厄介になる予定だ。


まとめ
学生時代には接客業のアルバイトをしよう
対人でのコミュニケーション、不快にさせない振る舞い、言葉遣い、ストレス耐性などが身につく。何となく「感じのいい人」に近づける。損することは無い。
「土日休みが良い」の価値観は人それぞれで年齢にもよる
今だから言えるが、土日休みは「隣の芝は青かった」だけだった。
休みは土日だろうが平日だろうが、仕事が楽しくて人間関係が良ければどちらでも良い。
休みがいつなのかは、働く上で最重要の要素ではない。
また20代の時の土日休みと、40代の土日休みは、その価値が異なる気がする。
自分の周囲の大切な人たちと過ごす時間を考えながら決めればいいと思う
根本的に興味のない仕事は続かない
どんなに待遇が良くても、興味がない仕事や面白くない仕事、社会的な意味を見出せない仕事は苦痛でしかない。
待遇が良ければ我慢できる、と私も思っていたが、実際にやってみて無理だった。1日の8時間、興味のないことに頭と体を使って過ごすのは拷問に近い。金がもらえたとしても、だ。
転職のきっかけには必ず人間関係の不満がある
私は、世の中の悩みの全ては人間関係に一因があるという説を支持している。
私がアパレル業界を去った時も、不動産業界を去った時も、それがメインではなかったかもしれないが、人間関係の悩みは転職の後押しをした事は間違いない。
ただ、人間関係は転職する前には分からない。雰囲気から察するしかない。
とても大事な要素なので、慎重になってよく見極めた方がいい。
これまでの職歴が繋がる時が来る
自分の場合で恐縮だが、現職に必要とされるスキルは、過去の職歴で一通り身についていた。
・アパレルで身につけた接客
・不動産営業で身につけた営業
・アパレルで身につけた管理業務(店長職)
・そして学生時代に打ち込んだスポーツ
これらそれぞれの経験は、まさか転職で役に立つとは一切思っていなかった。
全てが必要とされる職種に巡り合うことが出来たのは幸いだった。
まさに
点と点が線になったのだった。
今後転職を検討されている方へ。
同じ業界への転職(例えばアパレル→他社アパレル)は比較的容易だが、複数の業種から得た経験=「点」が「線」になることで、異業種への転職の道がひらけてくる。
冒頭にも記載した、
「〇〇もできる□□、40代」になるためには、数々の「点」を手元に持っていないといけない。そうすることで、選択できる職業の幅がぐっと広がる。
ちなみに私スズメが現在やってみたい仕事は、
・コンサル系(スポーツ事業の新規立ち上げ)
・デザイン関係(相当ざっくりしているし知識は一切ない)
・教育関係(店舗スタッフへの接客指導など)
・なんでもいいから自営業
40代は人生の棚卸し時期だ。
折り返し地点。
出来ること
出来ないこと
やりたいこと
やりたくないこと
もう一度整理してみよう。
そう言えば私の父親が言っていた。
「職場は一日8時間も10時間も過ごす。楽しい方が良いに決まっている。楽したいと思っている。他のスタッフもみんなそう思っている。だから自分が他人から見て”嫌な人”になってはいけないし、スタッフみんなが楽しく過ごせるように、自分が人一倍働いて働きやすい、楽ができるような環境を作っていくんだ」と。
昔ながらの自己犠牲の人だった🐦(存命)